少し前に ようこちゃんの日記で紹介されていたこの本(三田完さん 文芸春秋出版)。


少しずつ 店への電車の中で読んでいたのだけど、今日、お休み ゆっくり読み終えました。

最近出会った本の中で、私は いちばん!世界に はまりました。


舞台は 昭和初期。
3人の麗しき花のような女性3人が主役で、月1回の『俳句の会』を主の舞台としながら、季節とともに、物語は進んでいきます。

夏ならば、朝顔やつりしのぶ、屋形船に 麦酒、冷奴、ラムネ、、そんな嬉しい言葉たちがそこここに踊っているのも 心をくすぐります。

句会では ふたつの言葉をテーマに 集った者たちが 句を詠み、作り手をふせて、その句の出来映えを評価し合うのです。

たとえば、夏ならば、、まさに お盆を迎えようとしいる今の時期、、


『鬼灯(ほおずき)』と『踊り』

縁先の鬼灯雨に燃えにけり

盆踊り越えられぬ川越えたしと(この世と彼岸を分つ川をこえたい という 亡き人への思いを込めた句)


そして秋ならば、
『渡り鳥』『秋の蚊』

蚊は なかなか愛されることのない対象だと思いますが、俳句の世界では、その『蚊』さえ、あはれなものとして見つめるんですね。
~太陽が烈しく射す夏のあとだけに、秋には、ものさびしさ、わびしさのただよう季語が多い。まだ蚊はあちこちにいるし、刺されて痒いことに変わりはない。だが、秋深まるとともに間もなく絶えてしまうかと思えば、憎らしい虫にも哀れが湧く。(本文より)~
『蚊の名残つくづく眺む縞模様』


なるほど、、と 興味深く読みながらも 蚊に愛着は生まれなかったけれど(笑)

『宵しづか守宮(やもり)に小さき手相あり』

この句を読んだときは ぐっと ヤモリがかわいく思えてきました。
今度守宮に会った時は、ちょっと 見つめてみようかと、そんな気持ちになりました。
たくさんの句が紹介されていた中で 一番心に残った句です。

こういった句が 人間模様を描いた中で 自然に 織り込まれていて、俳句になじみのないヒトも、すんなりと、その世界に入り込めるのではないかと思います。

俳句を詠むということは、季節をより深く感じ、もののあはれを感じることのできる心のひだが多くなる、、そして、物事をよく知ろう ということに繋がるのかなあ と思いました。




主役の一人は 河田町の東京女子医学専門学校の学生(カノシェのすぐ近くの女子医大のことね)の設定でなんだか親近感が湧いたり、
東京都は もとは東京市で もともと十五の区に分かれていた東京市が 近隣の郡部八十二町村を吸収し計35区からなる新しい市に生まれ変わったのが、このお話の舞台の頃の10月1日で、、ふうん、だから、10月1日は 都民の日なのかあ、、なんて ぼんやり考えたり。

その後いつ23区になったのかな と調べたら 昭和22年だそう。

そこで紹介されている 東京市歌。

紫にほひし 武蔵の野辺に
日本の文化の 花咲きみだれ
月かげいるべき 山の端もなき
むかしの広野の おもかげいずこ

市歌 があったっていうこと自体が新鮮。
昔はもっと、自分たちが生まれ育った『東京』という意識が強かったからこそ、市歌があったのでしょうね。
それと、、なんていうのかしら、、ああ、東京も あんな顔 こんな顔をしながら 歩んできているんだなと。

少し前に 会った とっても元気な女の子。
『東京は 苦手。電車の中のヒトは、みんな、疲れた顔をしている。 ぐったり背もたれにもたれかかって座っている。パワーをすいとられそうでコワい』と。
彼女の地元では、電車の中でも みんな ぴっと背筋がのびていて、おじさんもみんな元気なんだそう。

電車の中が コワいと思ったことはないけれど、まあ、笑顔と活気に溢れた空間でないことは たしかです。
私も がんがん働いて帰る道は、やっぱり ぐったり しているかなあ^^;。



東京市歌に詠まれた 東京は おもかげいずこ と歌われても、なんだか 『顔』がある。
今の東京は、、どんな『顔』なんでしょうね。


さて、、、夏の夜、涼しくなってきたところで、本を片手に、ちょいと出かけてまいりやす♪


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