カノシェは 本日 9月18日 25周年を迎えました!
本当に 支えてくださるお客様と スタッフさんと 市場 仲卸さん、産地さん 宅配業者さん。。かかわる全ての方たちのおかげでの 今 です。

ありがとうございます!

今日から 色々と 25周年フェア始まっているのですが、それにあたり、店頭でお配りしておりますお手紙、今週家で 夜なべして(笑)作りましたので ここでもご紹介させていただきます~!

多分 年明けの カノシェ通信にも 内容ちょっと変えて またお入れします。

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上記の似顔絵の下に カノシェの名前の由来をご紹介しています。

2人で花屋で独立しようと決め、最初店の名前は 花屋リュウタロウ にしようと思っていました。

ニュージーランドで挙式をしたのですが、そこで出会ったブルーのドラゴンの置きものがとても気に入っていたのです。

ところが 花屋修行をしている間に 橋本龍太郎さんが首相に。そのタイミングでリュウタロウだと、相当龍太郎さんのファンかと思われそうですし、 お店名としてはちょっと却下となり、銀葉が好きだったので、シルバーリーフという店名にしようと決めていました。

そうそう、最初につとめた街の花屋さんで 初めて ダスティミラー(白妙菊)をみたとき、こんな 色の葉っぱがあるんだ! って すごく感激したんですよね。 ユーカリとかも素敵ですし、今でも好きです。

ところが 内装業者さんに、シルバーシートみたいで あんまりよくないと言われ、、名前をもじった店名をすすめられました。 あと二日できめてくれと言われ あせりました。。私たちは 加納というので 加納の家へ ようこそ という気持ちをこめて、カノシェ(フランス語の chez の語感だけお借りして)に 駆け込みで きまりました。

カノシェは 造語ですし、フランスの語感をかりたものの  FLORISTは 英語ですし なんやねん って 店名です 笑。 

でも その後 スタッフさんも増えにぎやかになり、 私たちの家へ ようこそ みたいな店名にすればよかったなあ なんて 思ったりも。

(20周年のときの私の作品)

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さて 続きましては カノシェのレキシです。長いですよ 笑。作ったチラシに ちょっと 書き加えて 綴ります。今日は 長文です!

写真は 過去のカノシェイベントで作った現スタッフさんの作品たちです。

1997.9.18 コージ サワコ 29才で独立開業

フジテレビがお台場へ移転して、商店街には空き店舗が目だっていた頃です。若松河田の駅もまだできていなく 東京女子医大の最寄り駅でもありました。

最初の一年は 忙しいときだけ、NFDで一緒だったお友達が 遠くから 手伝いにきてくれていましたが ほぼほぼ 2人で。

最初の3か月は 休みなし。以降は 月に2回の定休日で。

(岩ちゃん 今は高校生のお嬢さんの卒園の頃「想い出のアルバム」)

1998.10月 初めてのスタッフ募集

このころは バイト募集といえば 紙媒体のフロムA。たくさんのご応募をいただいた中から、今もスタッフの岩ちゃんに来てもらうことに。

(これも岩ちゃん作)

1999.1月 お花の教室を始める

店頭にチラシを置いているだけで 生徒さんって くるのかなあって ドキドキ。その頃は 女子医大への通り道だったこともあり、女子医の看護師さんが 多くレッスンにきてくれました。 宇多田ヒカルちゃんが鮮烈デビューしたころ。ヒカルちゃんのアルバムをプレゼントしてくれたのは、初代生徒さんだったなあ(^^♪

学生時代の友人も 会社のお友達を誘って レッスンにきてくれたり。

(はるちゃん 入りたての頃。)

1999年
元大塚商会のシステムエンジニアだったコージ
自作のホームページを立ち上げます。このころはまだ なんと インターネットが存在せず、パソコン通信だったんだそうです。

でも この旧式?のホームページを作った頃から いいともさんへのスタンド花などのオーダーが入り始めます。

それまでは スタンド花は 一年に数件でした。 それがその後どんどん増え、コロナになる前には 多いときには 月に150件ほど お届けしていました。

(ジュンさん フラワーチャイルド 世界が平和でありますように)

2002年頃~
季刊でカノシェ通信を始める。(スタンプカードが   たまったお客様へ お手紙をお届け)最初の何年かは 家庭用プリンタで 印刷。
あの頃は プリンタも印刷速度が遅くて 店をでるときに 印刷をしかけて、朝出勤しても、まだ がんばって印刷してくれていて、プリンタって えらいなあと。
多くは郵送でお送りしましたが、お近くには スタッフさんと手分けしてポスティングしていました。今はアスクルと発送代行にお願いしています。
(あやちゃん 入りたての頃)
2007年 カノシェ10周年

10周年記念で ホームページをプロに頼んでリニューアル。このころから どんどんホームページの仕事が増えます。作業場であるアトリエを借りるようになったのもこの頃から。

10周年イベントを 生徒さんの作品発表会とあわせて 初開催。この後、20周年まで 場所をかえながら5-6回は開催したかな?

(ちか レースも ちかが編んでます)

2008年 初めて南房総の圃場見学へ!
2005年から師匠のすすめで始めたブログのご縁で、生産者さんや花関係のお友達が増え、産地見学へ行ける機会をいただきました。 以来 コロナ前までは 長野や 佐賀 愛知 静岡など 年に1-2回産地さんを訪ねさせていただいていました。 その花が育っている様子に触れ、 背景を知り、また育てていらっしゃる方と直接お会いできることで、花達への思い入れがより深くなりますし、本当に 花屋にとって貴重なありがたい機会です。

(むっちゃん マムが好き)

2009年6月 
日経新聞のプラス1 の 女性に送る宅配花束 で なんと全国3位に

1位はゴ〇ウフロリストさん 4位 ス〇キフロリストさん 10位 青〇ラさんと並ぶ中、 街の小さな花屋であるカノシェがぽんとランクイン!

あれは本当に大きな出来事で 毎日電話がなりっぱなしで、急に忙しくなりました。 ありがたいことなのに、あまりに忙しくて キリキリ超絶早口になってしまっていたワタシ、、昔からの生徒さんが電話をしてくれたときに、あまりに感じがわるくサワコさんだと思わなかったと言われたこと、、今も胸がくるしくなる反省の想い出です。

このあと ネットの仕事が 急拡大し スタッフさん4人だったのを1年で10人ほどに増員しました。 ものすごく忙しかったのですが、体勢がともなっていなくて 開店以来の大赤字に!税理士さんから聴いたときは このままでは半年もたないと。。一番の試練でした。
それから必死で色々と改善し、なんとか転覆を逃れ その後 快調に。。

(すーちゃん 入りたての頃。 花魁をイメージして。
タイトルは なんと 「あたしをお食べ」!)

2011.3.11 大震災 

この日は金曜日。翌日は 東京女子医大の卒業式へのたくさんの大量の花束と  椿山荘さんへのウェディングブーケの制作がありました。

私は スタッフジュンさんと ちかちゃんと アトリエで 宅配ギフトを製作発送していました。 アトリエの前の道路にたくさんの人がでてきていましたが、宅配の締め切り時間もあったので ひたすら作り続けました。

その日は、私たちを含めスタッフさんのほとんどが帰宅できず 河田町の生徒さんの家へ泊めていただいて。 もちろん卒業式も結婚式も中止。

翌日 たくさんお作りしたけれど行き場のなくなった卒業式用のお花束は、近所の方にメルマガでおしらせして 引き取っていただきました。

(サワコ。布袋さんに燃えまくっていた頃の作品。布袋さんの曲 フルムーンパーティをイメージして)

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大震災後は お花の需要はがくんと減り、アトリエでも花を販売したりしましたが びっくりするほど売れなかったり色々苦労しましたが 一年ほどで なんとか復帰。
以来10年ほどはいくつかの波はあったものの 長くつとめてくれるスタッフさんも多く、比較的落ち着いて時を経ます。 
(コージ。 当時のスタッフ とっしーと一緒に)

(20周年のときの コージ作品)

2019年3月頃から コロナ蔓延により 一時は売り上げが半分以下に。

以来 イベントのお花はまだまだ少なめですが なんとか持ち直してがんばっております♪

(10年ちょっと前かな? 伯母と一緒に。私。バックの看板は当時のスタッフまゆみちゃんが ダンナさんと毛糸で作ってくれたんです)

以上 最後まで 読んでくださった方 ありがとうございます♡
最後気に入っている スタッフさん作の イベント小物。
はる作。

 

岩ちゃん作。

すーちゃんと お友達作の 額縁。

本当に その時々のスタッフさん それぞれを 愛おしく思っていて
そんな仲間と働けている今日を 幸せに思っています。。!

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